拳闘大学 | 格闘理論のハウツー

語ろう!偏見格闘技論

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武道の強さを論じるなど不毛、という意見

こんな言葉を聞いたことがありますか?


「野球とサッカー、どちらが強いかは決められない。意味がない。ルールに基づいて練習するだけだ」


要はこれ、武道などにおける流派の強さを議論する人達を揶揄した言葉です。
「サッカーはサッカーの練習、野球は野球の練習、〇〇拳法は〇〇拳法の練習をしている。強さなどでは測れない...」

そんな意味らしいですね。なんとも納得させられる感じがします。この考えが正しいのでしょうか?

私はそう思いません。

例えばこの言葉の前提、サッカーと野球、どちらが強いか?という話。


サッカーに決まっています。

第一にサッカーは人間同士で対面する、動きを読み合う攻防があります。またボールを蹴る動作は格闘における「キック」に通じますね。

これに対し、野球では人対人の攻防は殆どありません。バットを振る動作も、ボールを投げる動作も、それを捕る動作だって格闘に活かせるものは何一つありません。

但し、武器を使用して良いというルールでは多くの場面で野球に軍配が上がるでしょう。
野球選手の投擲は殺人的ですし、バッティングはいうまでもありませんから。


と、私はこのように分析します。
これも「喧嘩」やら「実戦」と呼ばれるある種のルールに基づいた思考です。

武道や武術、格闘技だって同じであると思うわけです。

もちろん、伝統派空手は拳を入れない、極真空手は顔を殴らない、少林寺拳法は戦わない。
そういった流派ごとの差異はあって、各々がそのルールにおける強さを求めて練習しています。


じゃあ実戦ではどうなの?


この質問に対して「ルールが違う!」など言ってしまっては、話が成立しません。

ムエタイは元を辿れば軍隊格闘術、空手は路上の戦闘術、少林寺拳法は護身術。

どれだって強さを求めるものに他なりません。
だからこそ今から武道・格闘技を始めようと言う方が、その強さを選択基準の一つにしようとする。
今修練している人々が、自分の流派に疑念を持つ。


そんな時、困る人達がいますね。
実は弱い人達です。

私見では、最初に示した言葉を述べるのは殆どが「一般的に弱いとされる」流派に属する方々です。


絶対に、騙されないでください。


以上です!!!